大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和51年(ネ)480号 判決 1980年2月28日

控訴人(原告)

三森新造

被控訴人(被告)

遠藤良一

ほか一名

主文

原判決を取消す。

被控訴人らは各自控訴人に対し金三〇二万二三六四円及び内金二八二万二三六四円に対する昭和四五年七月二五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを五分し、その四を控訴人の負担とし、その余を被控訴人らの負担とする。

この判決は第二項に限り控訴人において各被控訴人に対しそれぞれ金九〇万円の担保を供するときはその被控訴人に対して仮に執行することができる。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人らは各自控訴人に対し金一六一二万〇二四八円及び内金一四四七万二九五三円に対する昭和四五年七月二五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴人ら代理人は、各控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張並びに証拠の関係は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(主張)

一  被控訴人ら

1  本件交通事故における衝突地点は、被控訴人遠藤良一の走行車線に一・四五メートル進入した地点であり、亡三森博の運転していた軽四輪貨物自動車(以下「三森車」という。)の幅は一・二九五メートルであつたから、三森車はその全部が被控訴人遠藤の走行車線に進入していたものである。

2  被控訴人遠藤の運転していた大型トレーラー(以下「遠藤車」という。)が右衝突地点の手前のカーブ付近においてわずかにセンターラインを越え、三森博の走行車線に進入したとしても、そのことは三森車の進路を何ら妨害するものでなかつたし、右カーブ地点から衝突地点までの距離及び衝突地点の位置等に照らせば、遠藤車が衝突地点の相当手前のカーブ付近でわずかにセンターラインを越えたことをもつて、被控訴人遠藤に過失があつたものと見るのは相当でない。

二  控訴人

被控訴人ら主張の右1及び2の各事実はいずれも否認する。

(証拠)〔略〕

理由

一  昭和四五年七月二四日午後一時五〇分ころ、千葉県千葉市桜木町三三一番地先の国道五一号線道路上において、同市都町方面から同市若松町方面に向け走行中の被控訴人遠藤良一運転の遠藤車が反対方向から走行中の三森博運転の三森車に衝突したこと(以下これを「本件事故」という。)、三森博が右事故により死亡したこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第二、第三号証によれば、三森博は、事故発生後直ちに千葉市道場南町所在の労災協会病院に収容され、救急処置を受けたが、同日午後二時三〇分ころ、左肺損傷、腹腔内臓器損傷、脳挫傷等により死亡するに至つた事実を認めることができる。

二  被控訴人河上一吉が本件事故当時遠藤車を自己のため運行の用に供していた事実は、当事者間に争いがないが、被控訴人らは、本件事故の発生につき被控訴人遠藤には過失がなかつたと主張するので検討する。

1  前記甲第二号証、成立に争いのない甲第四、第六号証、乙第二、第五、第六、第八号証(第八号証は原本の存在も争いがない。)、被控訴人ら主張の写真であることに争いのない乙第一号証の一ないし八、第七号証、原審における証人和田信行、同吉田博の各証言、被控訴人遠藤良一本人尋問の結果、当審における証人和田信行、同江守一郎、同梶原英紀の各証言、被控訴人遠藤良一本人尋問の結果(いずれも後記採用しない部分を除く)及び本件事故現場の検証の結果を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(イ)  遠藤車はトレーラーをけん引するトラクターであつたが、トラクターは全長五・七八五メートル、全幅二・四九〇メートル、全高二・八六〇メートル、ホイールベース三・五〇〇メートル、車両重量五八九〇キログラムであり、トレーラーは全長一一・三五〇メートル、全幅二・四五〇メートル(荷台内法)、全高一・四五〇メートル(荷台)であり、荷台前部をトラクターの後輪の上方に繋架連結するため前部には車輪がなく後部に前後接近する二軸の車輪が設けられ、そのホイールベースは一・二〇〇メートルであつて、右トラクターに右トレーラーを連結した車体の全長は約一四・九四〇メートルであつた。本件事故当時遠藤車にはその荷台(トレーラー)に長さ一五メートルのシートパイル三六枚が後尾部分を荷台から約四メートル後方に突出する状態で積載されていて遠藤車の車両並びに積載物の総重量は約三〇トンであつた。

三森車は全長二・九九五メートル、全幅一・二九五メートル、全高一・五五五メートル、ホイールベース一・六八〇メートル、車両重量五二〇キログラムであつた。

(ロ)  本件事故発生現場付近の道路は、ほぼ南西から北東に通ずる国道五一号線であり、歩車道が区別され、車道は幅員七・二メートルで、アスフアルト舗装され、平坦な乾燥した道路であつて、中央部分に車線分離標識として白色のペイントによる点線状のセンターラインが標示されていて、走行制限速度は時速四〇キロメートルであつた。本件事故発生現場の西南方(都町寄り)には、都町方面から若松町方面に向かつて緩やかに左に曲がるカーブ(以下「本件カーブ」という。)がある。

歩道と車道は、高さ二〇センチメートル、幅二〇センチメートルのコンクリート製縁石で区画され、歩道は幅員一・三メートルのコンクリート舗装であつて、北西側歩道の外側にある畑との間にコンクリート製擁壁による土留めが設けられていた。

本件カーブ付近の道路の東南側には商店等が建ち並んでいたが、道路の北西側は畑であり、道路北西側沿いに立看板がいくつか設けられていて本件カーブの見通しを若干遮つていたものの、その立看板はそれぞれ互いに間隙があつて、都町方面及び若松町方面から本件カーブに進入する自動車運転者が反対方向から本件カーブに差し掛かる対向車両を発見することができない程度に視野を妨げるものではなかつた。

(ハ)  被控訴人遠藤は、本件事故発生当時、前記シートパイルを積載した遠藤車を運転して、国道五一号線を都町方面から若松町方面に向かい時速五〇キロメートルに近い速度(原審及び当審における証人和田信行の証言、被控訴人遠藤良一の尋問結果中にこの時速が四〇キロメートルである旨の供述があり、甲第六号証中に同被控訴人の説明として同旨の記載があるが、同第六号証によつて認められる遠藤車のスリツプ痕が左車輪において一二・四〇メートル、右車輪において一二・九〇メートル存する事実、衝突後、後記認定の状況で遠藤車が停車した事実及び乙第五号証並びに当審における鑑定人景山克三の鑑定結果に照らし措信し難く、右スリツプ痕に照しその速度は時速五〇キロメートルに近いものと認定する。)で自車線を走行し、減速することなく本件カーブに差し掛かつたのであるが、本件カーブを曲がりつつあるころ、対向して来た三森車が接近して来るのを発見したので、直ちに急ブレーキを掛けたが間に合わず、遠藤車の右前照灯部付近を三森車の後記部分に衝突させた。

三森博は、同じころ、積載物のない三森車を運転して、国道五一号線を若松町方面から都町方面に向かい時速約六〇キロメートルで自車線を走行して来て、そのままの速度でセンターライン寄りを本件カーブに差し掛かろうとしていたものである。

(ニ)  右衝突地点は、国道五一号線の東側にある電柱南滑橋第一〇三号から西南方面にあたる前記道路中央付近であるが、後記判示以上にその地点を明確に特定することはできない。

(ホ)  三森車は、右衝突によりその衝突地点から北東方向(左斜め後方)に跳ね飛ばされて、約一八〇度右に回転し、車首を若松町方面に向けて、右側(運転席側)を下にして横転した。その際三森車は、センターラインより遠藤車の走行車線に若干入つた地点を起点とし自車線上に達する長さ約二・八メートルの直線状(センターラインに対し自車線後方に鋭角をなす)の擦過痕を路面に作出し、自車線のほぼ中央部付近に横倒しのまま止つた。なお、三森車のスリツプ痕は存しない。

(ヘ)  遠藤車は、左カーブに従つてハンドルを左に切つたまま急制動による減速走行中に三森車と衝突し、そのままスリツプしながらトラクターの左前輪が歩道の北西端にある土留め擁壁に達した地点に停止したが、遠藤車は、その直前にトラクターの左前輪及び左後輪が車道北西側の縁石に衝突し又は乗り上げるなどして、八個の縁石を損壊した。

以上の事実を認めることができ、右認定に反する原審及び当審における控訴人の各本人尋問の結果、控訴人の見解を記述してある成立に争いのない甲第一四号証及びその他の証拠中右認定に反する部分は、前示特記の点以外についても、いずれも前掲採用の各証拠と対比して信用し難いものであり、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  前記甲第六号証及び原審における被控訴人河上一吉の尋問結果並びに当審における証人梶原英紀の証言によれば、前示擦過痕は硬質の物体が路面に接触して生じたものと認められるから、このような擦過痕は衝突の衝撃によつて三森車が転倒したか少なくとも正常位と異る状態になつてタイヤ以外の車体部分が路面と接触した後に生じたものと考えられるところ、衝突した両車の車体の規模構造、衝突直前の走行速度が前示のとおりであり、本件衝突部位が遠藤車の右前照灯部付近と三森車の前面中央右寄り部分であること及び本件衝突がアスフアルト舗装の平坦な乾燥した車道上で起きたものであることに徴し、かつ、当審における鑑定人景山克三の鑑定結果及び同人の証言中この点に関する部分を照合して考えれば、三森車が衝突の衝撃によつて正常位の保持を失い、その車体のタイヤ以外の硬質箇所を路面に接する状態に至るまでには、瞬間的ではあるが時間、空間の推移がなければならないから、右擦過痕の軌跡は衝突点から力の働き得た方向寄りに若干離れた地点から始つているものと判断されなければならない。しかし、衝突後、右擦過痕を生ずるまでの三森車の車体の状態の変化経過を正確に認定するに足りる証拠はないから、この擦過痕によつて衝突地点を特定的に認定することはできず、右擦過痕の軌跡の延長線上に衝突点が存すると考えるべき合理性もないものといわなければならない。ただ、前認定とおり、その軌跡が三森車の走行車線の進行方向の左斜後方へセンターラインに対し鋭角をなして延びている点を前示認定の諸状況と併せ考えれば、衝突地点は右擦過痕の起点より都町方面寄りに存し、同点より若松町方面寄りには存しないということができる。

前記甲第六号証の実況見分調書によれば、同添付見取図の×印の地点をもつて衝突地点と測定した旨の記載があり、同地点は前記擦過痕の起点を経た延長方向に存するものとされている。右によれば、衝突地点は遠藤車の走行車線の車道北西側の縁石より道路中央へ二・一五メートル寄り、すなわちセンターラインより遠藤車の走行車線に侵入すること約一・三五メートルの地点に当たることになり、前示三森車の幅員及びその衝突部位に照らして考えると、三森車はその車体前面全部を対向車線に侵入させた状態で衝突したことになるが、右の衝突地点の測定は、同実況見分調書の記載上明らかなとおり、被控訴人遠藤良一の指示説明に基づいてなされたものであり、同人のこの点に関する指示説明は前示遠藤車の走行速度に関する同人の供述が前示のとおり措信できないことに照らしこれまた措信できないところであるから、右実況見分調書の測定をもつて衝突地点を認定することはできない。なお、当審証人梶原英紀の証言中、右印の地点を中心にして泥やガラス片が沢山落ちていて、ガラス片にほとんど三森車のものであつた旨の供述があるが、更に、同証言によれば、右のガラス片は×印の地点を中心にして大分広い範囲に落ちており、停車していた遠藤車の後輪付近にも少しは落ちていたというのであるから、この証言をもつて、右×印の地点を衝突地点と特定する証拠とするには十分でない。しかして、原審及び当審における証人和田信行の証言及び被控訴人遠藤良一の本人尋問の結果中、衝突地点を右×印の地点であるとする部分は、いずれも、前記並びに後記の点について同人らの供述が措信できないことに照らし信用できないところである。なお、原審における右和田証人の証言中、遠藤車が左側の縁石に乗り上げると同時くらいに三森車と衝突した旨の供述も、前示採用の各証拠に照らし、真実を述べるものとは考えられず措信することができない。

他方、成立に争いのない乙第五号証(江守一郎作成の鑑定書)及び当審における鑑定人景山克三の鑑定結果に徴し、遠藤車の大きさ及び構造と本件カーブ及び車道幅員と前示スリツプ痕とから考えれば、遠藤車が本件カーブを曲がり終つてスリツプ痕を生じ始めたころまでは、遠藤車のトラクター右前端部の運動軌跡はセンターラインを越えて対向車線上を通過していたものと認められるところ(この認定に反する証拠の採用できないことは後記のとおりである。)、衝突地点が右運動軌跡内であつた可能性を否定し去るべき十分な証拠はない。前記乙第五号証の江守鑑定書によれば、右運動軌跡内での衝突の可能性はあり得ないことになるが、同号証の鑑定意見は、遠藤が三森車との衝突の危険を感じた時点が遠藤車が本件カーブを曲がりつつある間であるとする後記認定事実を前提とするものでないことがその記載上明らかであるから、これをもつて右認定判断を覆すべき資料とすることはできない。

3  原審における被控訴人遠藤良一の尋問結果によれば、遠藤が三森車を初認したのは前方約四〇メートルの地点であつた、その時の三森車はその自車線を走行していた、そして三〇メートル前方に近づいたところから三森車は急にセンターラインを越えて遠藤車の走行車線へまつすぐに制動を掛けずに突込んで来たというのであつて、当審における同本人の尋問結果中にも同旨の供述があるが、三森車の運転者として、右に曲がるカーブを目前にし、そのカーブを曲がつて来る大型車と対向しながら、その直前三〇メートルの地点で自車線から急に、時速約六〇キロメートルのまま無制動で反対車線に侵入を開始するということは、居眠り運転をしていた等の特段の事情の認められない以上、通常は考えられないことである。

ところで、遠藤車の助手席に乗つていた和田信行は、原審において「他の車の運転手から、三森博が運転席に落とした物を拾おうとして前にかがんだ際、ハンドルが右に切れたのではないかと聞いたほか、三森車が事故直前に左右にふらつきながら走行し、今にも事故を起こしそうに見えたと聞いた。」旨証言し、被控訴人遠藤は、原審において、「急ブレーキを掛けたとき瞬間的に三森車の運転席を見たが、運転手の顔が見えなかつた。あとで考えれば、運転手は何か落とした物を拾おうとしていたのではないかと思われた。」旨供述しているほか、成立に争いのない乙第三号証によれば、本件事故発生当時の新聞は、「千葉中央警察署の調べによると、三森博の居眠り運転が原因らしい。」と報道した事実を認めることができる。

しかして、控訴人の原審における供述によれば、三森博は、事故発生の日の前日午後一〇時三〇分ころ寝たが、事故発生の日の午前四時ころ起きて消防の演習に参加し、それを終えて帰宅した後、直ぐに勤めに出掛けた事実を認めることができるけれども、原審における証人吉田博の証言及び控訴人の供述によれば、三森博は、事故発生の日千葉市内の小倉団地で左官の仕事をし、その工事現場から国道五一号線に出て本件事故発生現場に至つたものであるところ、右工事現場から事故発生現場までの走行距離は約二キロメートルであり、走行時間は三分ないし五分であつた事実を認めることができるので、三森博が多少睡眠不足であつたとしても、同人が本件事故発生当時居眠り運転をしていたものとまで推認するのは相当でなく、和田証人の前記証言は推測に基づく伝聞によるものであり、被控訴人遠藤の「瞬間的に三森車の運転席を見たが、運転手の顔が見えなかつた。」旨の供述も、客観的に正確な状況を観察し認識したものであるのかどうかこれを裏付ける資料も見当たらないので、たやすく信用し得ないばかりでなく、運転手として衝突の際の防衛的本能から顔をそむけることもあり得るのであるから、三森博が衝突寸前において顔を上げていなかつたとしても、これをもつて同人が運転席に落とした物を拾おうとして瞬時前方の注視をしなかつたものとまで推認するのは相当でない。

また、三森車の前示走行速度と急制動の場合の空走距離との関係を考えると、同車のスリツプ痕が存しない事実をもつて、衝突直前においても三森博が急制動等の緊急措置を全くとろうとしなかつたものと断定することはできないから、右の事実をもつて同人の居眠り運転等の特段の事情を推認することはできない。

その他、前記特段の事情を認めるべき証拠はないから、遠藤車の走行直前三〇メートルの地点から三森車が反対車線に突込んで来た旨の前示遠藤本人の供述は、措信できない。

なお、右の点に関する原審証人和田信行の「私は現場の手前が左に曲がるゆるいカーブになつていたので縁石に自分の車の車輪がさわるかさわらないか、車の左下を見ていました。それで遠藤君が大きい声でああというものですから、前を見たら軽自動車が右折するように入つて来ていました。」との証言によれば、遠藤が三森車との衝突の危険を感じて急ブレーキを掛けた時点は、遠藤車が本件カーブを曲がりつつある間である事実を認定することができるところであるが、この証言と前記被控訴人遠藤本人の三森車が急に遠藤車の走行車線へまつすぐ制動を掛けずに突込んで来た旨の供述とを併せ、前示認定の諸事実に照らしてその証拠評価をすれば、本件カーブを前認定のように車体右前端部においてセンターラインを越えながら左へ曲がりつつある遠藤車上の遠藤及び和田の目からは三森車が自らの車線を直進して来る状態を遠藤車の走行車線へ向つて進入するもののごとく感じられたことから、右のような供述をするに至つたものと判断するのが相当である。

以上のとおり、和田証人及び遠藤本人の三森車が衝突前にセンターラインを越えて反対車線へ進入した旨の右各供述はいずれも措信し難いところであり、他に右進入の事実を認めるに十分な証拠は存しない。

4  前記甲第六号証、乙第五号証、当審における証人江村一郎の証言によれば、本件カーブを曲がり終わる地点付近から道路上に残されたスリツプ痕は遠藤車のトレーラーの左右後輪によるものであり、右トレーラーの右後輪のスリツプ痕の右端部はセンターラインのやや右側(対向車線側)から付き始めているのであるから、被控訴人遠藤が本件カーブを曲がり終わらないころ三森車との衝突の危険を認知し、急ブレーキを掛けてタイヤに制動が掛かるまでの空走距離を考慮し、かつ、遠藤車のトラクター右前輪とトレーラー右後輪の本件カーブにおける内輪差(約五〇センチメートルと推定される。)を考慮すれば、本件カーブ付近において遠藤車は、トラクターの右前端が約六五センチメートル程度対向車線にはみ出る状態で走行していた事実を推認することができ、右推認に反する原審及び当審における証人和田信行の証言及び被控訴人遠藤本人尋問の結果はいずれも前掲各証拠と対比して信用することができず、当審における証人梶原英紀の証言及び八ミリフイルム一巻の検証の結果は、既に廃車処分された遠藤車により昭和五二年九月一八日に時速四〇キロメートルで走行テストをした結果に基づく証言及び右走行テストを撮影した写真であるから、本件事故発生当時における前示認定の状況と異なる状況を前提とするものであり、前記推認を左右するものではない。

5  以上認定判示の事実関係を総合して考察すれば、遠藤車が本件カーブを曲がり終えないころ、まだトラクター右前端部分がセンターラインを経て自車線内にもどらない間に、自車線に向つてもどりつつある右前端部分を三森車の前面中央右寄り部分に衝突させたものであると認定することができる。しかして、三森車の幅員及び衝突部位が前示認定のごとくであることから見れば、衝突時において三森車はセンターラインに右側車輪を近接する程度に対向車線寄りを走行していたものと推認することができる。前記景山鑑定の結果によれば、この衝突地点に関する認定は、前示擦過痕の位置形状との関係において矛盾することなく理解できるものであり、前示乙第五号証の江守鑑定書がその図6において示すとおり、衝突後の三森車の車両運動としては、車両前端部が自動車走行線側に中心を持ちセンターラインと交わる弧をなして走行方向と反対の方向へ動く軌跡を生ずる可能性のあることが考えられ、かつ、その運動軌跡中に三森車が横転する等の事態が十分考えられるから、衝突地点に関する前示認定は、右江守鑑定書の意見に照らしても、必ずしも前示擦過痕の位置形状との関係において矛看しないものということができる。

従つて、本件衝突地点を前示実況見分調書の×印地点とすることがほぼ正しいとする旨の乙第五号証の鑑定意見部分及び当審における証人江守一郎の同旨証言部分は採用できない。

三  従つて、被控訴人遠藤としては、本件カーブ付近において適宜減速し、遠藤車を対向車線にはみ出させないようにして走行すべき注意義務があつたものということができるところ、前記八ミリフイルムに撮影された走行テストの結果に照らしても、そのような走行は十分に可能であつたといえるのであるから、被控訴人遠藤が本件カーブ付近において制限時速を約一〇キロメートル超える速度をもつて右のような位置を走行したことについては不注意な点があつたものというべきであり、被控訴人遠藤の右不注意な行為によつて本件事故が発生したものと認めるのが相当である。

以上のとおり被控訴人遠藤には本件事故の発生につき過失があつたものということができるから、被控訴人河上の免責の抗弁は採用するに由ないところであつて、被控訴人らは、連帯して控訴人に対し後記認定の損害を賠償すべき義務がある。

しかし、遠藤車が前記認定の程度対向車線にはみ出て走行したからといつて、三森車は自車線を左寄りに走行して遠藤車とすれ違いをする余裕が十分にあつたのであるから、三森博としても、進路前方を注視して遠藤車の走行状況を観察し、適宜減速するなどこれに対応する操車をしていれば、容易に事故の発生を回避することができたものというべきところ、少なくとも衝突直前まで右注意義務を全く尽くすことなく漫然時速約六〇キロメートルのままで対向車線寄りに走行を続けた過失は著しく大きいものというべきであり、被控訴人遠藤の過失と三森博の過失を対比すれば、その割合は前者の過失が二であるのに対し、後者の過失を八と見るのが相当である。

四  そこで、被控訴人らの賠償すべき損害について検討する。

1  逸失利益

成立に争いのない甲第五、第九号証、原審における証人伊藤楳吉の証言により成立を認める甲第八号証、同証人の証言及び原審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は、三森博(昭和一四年六月四日生)の父であり、同人の唯一の相続人であるところ、博は、中学校を卒業して職業補導所に入所し、左官職を修得して働いていたが、昭和四五年七月ころには千葉市亀岡町の訴外伊藤楳吉に雇われ、一箇月に二〇日間ないし二五日間稼働して、月額平均六万五三三三円(同年四月から六月までの平均額)の収入を得ていた事実を認めることができるから、博は、右収入から四〇パーセントの生活費を控除した純益として年額四七万〇三九七円の割合による金員を、同人が六三歳に達するまで三二年間稼働して取得し得べきであつたものということができ、右の逸失利益の事故発生時における現価をホフマン式計算法によつて算出すると、右現価は、右年額四七万〇三九七円に係数一八・八〇六を乗じて、八八四万六二八五円となる。博の前記過失の程度を考慮すると、右金員の二割に当たる一七六万九二五七円を賠償させるのが相当である。

控訴人は、右博の損害賠償請求権を相続により取得したものということができる。

2  慰藉料

原審及び当審における控訴人の各本人尋問の結果によれば、控訴人は、博の不慮の死により多大な精神的苦痛を受けた事実を認めることができるが、本件事故の態様、博の過失の程度その他諸般の事情を考慮すると、慰藉料としては一〇〇万円をもつて相当と認めるべきである。

3  治療費及び葬儀費用

成立に争いのない甲第一二号証、原審における控訴人本人尋問の結果により成立を認める甲第一三号証及び同本人尋問の結果によれば、控訴人は、博の治療費として労災協会病院に対し二万九二五六円を支払い、博の葬儀費用として二三万六二八〇円を支出した事実を認めることができるが、博の過失の程度を考慮し、右合計二六万五五三六円の二割に当たる五万三一〇七円を賠償させるのが相当である。

4  弁護士費用

原審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は、弁護士北光二に本件訴訟の提起・追行を委任し、既に手数料として二〇万円を支払つたうえ、判決の認容額の一割を謝礼として支払うことを約定した事実を認めることができるが、本件事故と相当因果関係のある損害としては二〇万円の限度で認容するのが相当である。

五  そうすると、控訴人の本訴請求は、被控訴人ら各自に対し、損害金三〇二万二三六四円及び弁護士費用を除く二八二万二三六四円に対する本件事故発生の日の翌日である昭和四五年七月二五日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容すべきであり、その余は失当としてこれを棄却すべきである。

よつて、控訴人の本訴請求をすべて棄却した原判決は不当であり、本件控訴は理由があるから、原判決を取消したうえ、控訴人の本訴請求を右の限度において認容し、その余を棄却することとし、訴訟の総費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 安倍正三 長久保武 加藤一隆)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例